白鳥の湖

PRODUCTION TOTES
Vol.1/Vol.2


 小野寺昭憲という一人の映像作家が、プロデューサー・監督・脚本・撮影・編集・主演の6役を兼任して製作した短編映画「白鳥の湖」。わずか17分足らずのこの作品には、クランクインからクランクアップまで実に3年という長き製作期間が費やされた。
 或る人は、この作品を私小説ならぬ“私映画”だと言う。俗に言う私小説とは、作者自身を主人公として自己の生活体験とその間の心境や感慨を吐露していくという大正期から昭和初期にかけて文壇の主流を成した日本独特の小説の一形態であるが、まさに「白鳥の湖」は、作者(監督)自身の想いが過剰なまでに投影された“私映画”だと言うのである。監督である小野寺自身が書いた脚本に従って自ら主人公を演じていること、また現実に小野寺の妻である真理子が妻役を演じていること、更にその娘役にも実の長女・桜華が出演していること、そして何より妻・真理子が実際に桜華を出産しているシーンをキャメラに収め、そのシーンを劇中に使用するという前代未聞のエピソードから鑑みてみても、これは“私映画”に他ならぬと。


 「白鳥の湖」そのものはあくまでもフィクションなのだが、要はその人工的に描かれた虚構の世界に現実世界をベースにした真実のリアリズムを巧妙に交錯させたことによる真実(ノンフィクション)と虚構(フィクション)の精緻な融合が一個の作品において成立し得るか否かが本作の映画史における新たな挑戦であった。そして完成を迎えた今、その革新的な試みによって生まれた作品は、従来の所謂ドキュメンタリー作品や単なるフィクション作品とは一線を画せしめ、フィクションにドキュメンタリー要素を配合して作家性を極限まで包含した新たなジャンル“私映画”の誕生をもたらしたのである。
 通常の映画製作というものは、ディベロップメント(企画)に始まりプリプロダクション(準備)を経てシューティング(撮影)に臨みポストプロダクション(仕上げ)で作品を完成させる運びとなる。しかしこの常識外れの作品「SWAN LAKE」は、その製作過程すら従来の枠組みに囚われることはしなかった。驚くべきことに、何の企画も脚本も無い段階で突如として撮影が敢行されたのである。
 2002年4月3日、小野寺は臨月を迎えた妻・真理子を産婦人科に送り届けた。時を経る毎に間隔の短くなる陣痛を感じながら、真理子は夫と“ふたりで過ごす最後の時間”を噛み締めていた。今日新たな生命の誕生を目撃することになる小野寺は、家に置いてあった旧式のデジタルビデオキャメラ、SONYのVX1000を分娩室に持ち込んだ。この瞬間を絶対に記録せねばならぬ。何やら言い知れぬ確信めいたものを感じながら、小野寺は真理子の出産と共に撮影を開始。生命とは何なのか、父になる、母になるとは一体どういうことなのか、全ての答えがその時、小野寺の回すキャメラの前に展開しているような気がした。


 出産シーンを撮り終えてから、小野寺は脚本の執筆に取り掛かった。予定尺は20分。長編ではない、ショートフィルムだからこそ描き出せる物語の魅力を引き出す為に、不要と思われるシークエンスやセリフ、過剰な特殊効果やヴィジュアルエフェクトを極力排除し、描くべきことだけを描き凝縮した20分。書く前から決めていたキャスティング、主人公は自分、妻役に真理子、娘役に桜華。生まれたばかりの桜華を傍らに見ながら、小野寺はラストシーンまで一気に書き上げた。その脚本のエンディングには、3歳になった娘の姿が描かれていた。今、尚早に3年後の娘役の代役を立ててこの脚本を映画化することは、物語の根底であるリアリズムを欠くことになる。この時点で小野寺は、既に本格的なクランクインを今から3年後、2005年4月3日の桜華3歳の誕生日に想定していたのである。後に小野寺はこう語る。「娘はどうしても同一人物でなければならなかった。この映画はフィクションだ。真実があるとすれば、俺と妻と娘が間違いなく"本物の家族"であるということだけだ。その唯一の真実を貫く為に、3年くらい待てなくてどうする」。


 それから2年後の2004年、小野寺と妻と娘は、生まれ住んだ故郷・福井を去った。「SWAN LAKE」の映画化にあたって監督として、また作品完成後のプロモーションにあたってプロデューサーとして、地理的に最も適した場所に移り住むこと。まずはそれがプリプロダクションにおける第一段階であった。故郷を離れること、就職先や食い扶持を確保することなどは映画にとってもはや二の次であった。小野寺の頭の中には、ただ「白鳥の湖」の完成しかなかったのである。


 2005年3月、桜華の3歳の誕生日を1ヶ月後に控え、プロジェクトは動き出した。まずはキャスティングとスタッフィングである。しかし上京して1年にも満たない小野寺にとって、人材確保は困難を極めた。特に低予算であるが故に金銭的報酬が賄えない為、スタッフィングは難航した。それでも、以前からの知人であった東京在住の2名が協力を名乗り出、更にインターネットによる募集に共鳴した1名を加えた計3名が「白鳥の湖」製作プロジェクトに参加を表明した。小野寺を加え、現場スタッフはわずかに4名。


 キャスティングでは、以前から小野寺と親交のあった俳優の山本浩司が友情出演を快諾した。山本は小野寺と同じ福井出身で大阪芸術大学映像学科で学んだ先輩である。当時山本は演出家ケラリーノ・サンドロヴィッチによるKERA・MAP公演「砂の上の植物群」にて、常盤貴子、筒井道隆、渡辺いっけい、温水洋一らとの共演が決定しており、その稽古中で多忙であったにも関わらず、小野寺の熱意に共感し無償で出演を引き受けたのである。その後、インターネットによる告知により続々と出演希望者がは集まった。「金ではない。ただ俺たちはいい作品に出たいんだ。人に感動を与えたいんだ」。そう熱く語る俳優たちと小野寺は一人ひとり面会し、配役を決定していった。配役に関するオーディションは一切行なわず、ただファーストインプレッションと人間性によってそれは決められた。


 2005年4月3日、予定通り桜華3歳の誕生日を皮切りに、実に3年ぶりに撮影は再開された。一時期は画質を考慮して上位機種のキャメラの使用を考えたが、出産シーンの時に使用したVX1000を引き続き使用することにした。いい機材を使えば誰でも綺麗な映像を撮ることは出来る。金さえ積めば誰でもCGや高度なソフトを利用することは出来る。しかし、「白鳥の湖」に必要なのはいい機材でもいいソフトでもない。ただ、己が信念を具現化する為の強烈な情熱、それだけであった。
 監督含め、最大4名のスタッフ。時には監督と俳優とたった2人きりで敢行した撮影もあった。特に神崎と冴子の夫婦のシーンでは、敢えて第三者を挟まず、文字通り夫婦ふたりだけで撮影を行なった。
 タイトルでもある「白鳥の湖」のメイン舞台となった、毎冬2000羽の白鳥が飛来すると言われる福島県の猪苗代湖。オープニングとエンディングに登場するこの重要なシーンの登場人物は3人、神崎と冴子と娘であるが、実際に現場にいたのも、神崎役の小野寺と冴子役の真理子、そして娘役の桜華の3人だけであった。キャメラマンや助監督、音声、照明、記録といったスタッフは誰もいない。入念なセッティングの上に設置された無人のキャメラの前に存在していたのは、紛れもなくこの3人の家族だけであった。


 監督・小野寺昭憲と音楽監督・真柴史朗。実はこのふたりは一度も面識がなかった。過去何作品か制作を共にしているが、ふたりが初めて顔を合わせたのは、「白鳥の湖」が完成した後の話である。居住地が関西と関東と離れていたことも影響しているが、3年前からお互いに電話とメールだけで交信を行なってきた。本作「白鳥の湖」においても然り、音楽データをウェブ上だけでやり取りし完成させた。電話での打ち合わせは、長い時で1日12時間に及ぶこともあった。IP電話とインターネット、この近代科学技術がなければ、ふたりが出逢うこともなく、「白鳥の湖」の音楽が誕生することもなかったわけである。


 2005年秋、こうした幾つもの過程を経て、「白鳥の湖」、そしてその完全版「SWAN LAKE」は完成した。小野寺の創り出した“私映画”に惜しみない助力を尽くしたキャストとスタッフ。そして何より彼の愛する家族の協力がなければ、この作品は完成し得なかったであろう。この17分足らずの作品には、そういった様々な想いが込められているのである。

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白鳥の湖